原作/RMR・ノベライズ/杉田純一・監督/古池真透 小説「装竜機ヴァイアトラス」 -
第二話 迷宮の惑星



 シルファが前に立つと、両開きの扉は圧縮空気の漏れる音を響かせて開いた。
 視界に室内の光景が飛び込んでくる。
 軍高官用の大会議室だ。中央に円卓があり、十五個のコーヒーカップが中身を残したまま放置されている。キャスターつきの椅子が十三脚、主のないままばらばらの方向を向いており、残りの二脚に、軍服に身を包んだ仕官が疲れた表情で座っていた。
 直前までここで行われていた会議は、どうやら荒れたらしい。会議室にたった二人残った上官の様子を見て、シルファは悟った。
「シルファ・サイク技術大尉、参りました」
 室内に一歩踏み込んだ所で立ち止まり、敬礼する。
 この敬礼というやつが、シルファは苦手だった。鏡に自分の姿を映してみても、様になっていないのがよくわかる。彼女の容姿は、軍人に見えないのだ。
 毛先が軽くカールした、ライトブラウンの頭髪。顔つきは二十七歳という年齢よりも大分幼く見える。服装からして軍服ではなく、今も自前のブラウスに紺のタイトスカート、その上に白衣を羽織っていた。シルファは、もともと装竜機開発に関わった科学者であり、現在は装竜機パイロットたちの健康管理を担当している医師でもある。
 もっとも、白衣を脱いでしまえば民間企業のOLと言われても違和感がない。軍人にも科学者にも、医師にも見えないのだ。
「不機嫌そうだな、サイク博士」
 室内に残っていた男の一人、年配のほうが苦笑を浮かべて言った。
 筋肉質の体を佐官の軍服に包んだ偉丈夫、ザナドリー・ワーズマン大佐である。
「別に、怒ってなんかいません」
 否定しながらも、シルファは口を尖らせる。子供っぽい表情で怒りを表現する。
「何を怒ってるのかは、想像がつくな」
 からかうような口調で言ったのは、もう一人の仕官、装竜機中隊隊長ガロア・ロウト少佐だ。会議室の末席に座っていた彼は、自分のコーヒーカップを持って立ち上がり、ザナドリーの隣に移動する。
「時間的に見て、お歴々とすれ違ったところだろう。嫌味でも言われたんじゃないか?」
「……そのとおりです」
 憤りがよみがえるのを自覚しつつ、シルファはガロアの推測を認めた。
 先程までこの会議室では、昨日のブリトラン襲撃に関する報告、および対策会議が行われていた。その議題は多岐にわたる。
 被害規模の把握と、再襲撃に備えた防衛力の強化。軍需物資の生産確保は、都市復興需要と衝突し、シティ行政部との難しい折衝を必要とするだろう。さらにマスコミへの発表は、どこまで情報を明かすか……難問続出で、会議出席者に多大なストレスを与えたことは、想像に難くない。
 ガロアの言うお歴々とは、それに出席していたマギャリー高官達のことだ。その多くが実戦部隊の指揮官、つまり陸戦機隊の中隊長等であった。
 最終的にブリトランを撃退したのは、高官達が冷遇し、封じ込めてきた装竜機だったが、そのことに感謝し、今までの冷遇を詫びるような可愛げのある連中ではない。むしろ感情は硬化し、装竜機中隊に対する待遇は温度を下げる傾向にある。
 廊下で彼らとすれ違ったシルファは、ストレス発散の標的にされたのである。
「もっとも、陸戦機ではブリトランに抗しきれないとわかった以上、再び装竜機を封印するわけにはいかない。せいぜいシルファに嫌味を言うのが関の山だろう」
「嫌味を言われる身にもなってください」
「耐えろ」
 ガロアの一言は、高官達の冷遇よりも冷たかった。シルファは黙して涙を飲んだ。
「ブリトランに対しては」ザナドリーが口を挟む。「装竜機だけでも陸戦機だけでも抗しきれまい。軍部全体の協力が不可欠なのだ」
 その表情には、心労の色が濃い。装竜機開発の責任者という経歴を持つザナドリーは、心情的には装竜機中隊に近い。だが今の彼はアルシアシティ駐屯軍全体を統括する立場。軍部内でのいさかいは頭痛の種なのだろう。
「まあ、それは後の話だ。それよりサイク博士。データはまとまったかね?」
「はい。ここに」
 ザナドリーにうながされ、シルファはメモリカードを掲げた。
 シルファが会議終了を待って参じたのは、この内容を報告するためだった。
 メモリカードをスロットに投入する。即座に壁に掛けられた大型ディスプレイの輝度が上がり、メモリカードに記憶された映像を映し出す。
 それは装甲をまとった人型のシルエット、装竜機五番機ブレイバーの模式図だった。その横に、グラフと数値が並ぶ。画面の右下には日付と時刻表示。昨日、ブリトランとの戦闘があった時刻だ。
「敵機がレイヤ1に侵入した際、五番機はレナード・ナセア少尉をパイロットとし、スタンドアローンモードで起動しました」
 シルファの説明にあわせて、ブレイバーの模式図が緑に発光、暗転、赤色と変化する。同時にグラフの数値も変化した。それは、ブレイバーの稼動状態を数値化したデータだった。戦闘時の時間変化を再現している。
「しかし、直後にフリーズ。いっさいの入力を受け付けなくなります」
「……安定しないな、五番機は」
 まぜっかえすガロアの言葉に、シルファは苦い思いでうなずいた。度々起動トラブルを起こすブレイバーは、シルファ達技術者にとっても頭痛の種だった。
「この後、陸戦機の誤射によりナセア少尉は負傷。混乱に乗じ、偶然その場に居合わせた民間人の少年が五番機に搭乗し、再起動をはたします。その経緯については昨日ご報告したとおりですが」
 模式図が、さらに明るい色に染まる。脇の数値も最初より高い値を示している。
「注目していただきたいのは、この数値です。H器官の出力レベルを示していますが、スタンドアローンでの理論値を超えています」
 ザナドリー、ガロアの表情が険しくなった。二人ともその異常さを理解しているのだ。
 H器官とは、装竜機の動力源である。その出力レベルは量子論的観測によって決定される。だが、生体コンピュータによって観測条件が制御されるスタンドアローンモードでは、低い出力レベルしか得ることができない。この状態の装竜機は、陸戦機以下の性能しか発揮できないのだ。
 より高い出力を得られる観測条件を作り出すには、稀な体質を持つ人間が必要だった。この体質を持つ者だけが、装竜機専属パイロットとなり、サブジェクターと呼ばれた。
 装竜機がパイロットを選ぶという要因が、これだった。
「昨夜の報告では、少年にサブジェクターとしての素質があったと聞いていたが、その影響なのか?」
「いえ。そうとばかりも言い切れません」
 質問に答えつつも、シルファは内心首をかしげていた。
「戦闘後、少年のサブジェクションレベルを測定しました。たしかに高い数値が測定され、サブジェクター候補として期待は持てます。ですが、それだけではこの数値は説明できないんです。彼はNARDの移植も行っていませんし、モード遷移した形跡もありません」
「スタンドアローンのまま、出力レベルだけを上昇させたということか」
「その現象に、再現性は?」
「ありません。少年にはもう一度五番機に搭乗してもらいましたが、出力レベルの上昇は観測されませんでした。あるいは、実戦という環境がなんらかの影響を及ぼしたのかもしれません。もちろん、この現象が少年とは関係がなく、たまたま高出力の状態が決定されただけなのかもしれません。出力レベルの波動関数は偏差の少ない正規分布をとりますが、高レベルの出力が観測される確率も、0ではないわけですし」
 小さくため息をつき、シルファは映像を切り替えた。グラフとブレイバーの模式図が消え、少年の顔写真が現れる。黒髪の、精悍な顔つきをした少年の正面映像だった。
「これは、医師として、装竜機開発スタッフとしての勘でしかありませんが、この少年には何かがあります。現状のサブジェクター検査では計りえない要素が」
「アスト・レザ……か」
 スクリーンに映った少年の名を、ザナドリーはつぶやいた。
 昨日の戦闘で、ブレイバーを起動させた少年だ。ザナドリーの視線は、アストの顔に向けられている。だが細められたその瞳は、映像を通り越して遠い過去を見ているようだ。
「バレス・レザ博士のご子息ですね」ガロアも同じ目をしてつぶやく。
「うむ。因縁めいたものを感じるな」
 バレス・レザ。数年前に死去したアストの父親。シルファは直接彼と会ったことはない。だが、装竜機開発に関わった者として、その名を聞いていた。
 地質学者にして分子生物学者。装竜機の核となるマテリアルを発見し、その応用研究を牽引した人物。装竜機の基礎理論をくみ上げたスタッフの一人だ。H器官制御の実験中、事故で亡くなったと聞いた。
「あの、ワーズマン大佐。少年は検査入院という名目で、メディカルセンターに拘留していますが、彼の処遇はどのように……」
 恐る恐る、シルファは聞いた。
 アストの処遇についても、前の会議で議題にあがったはずだ。軍事機密である装竜機に乗り込んだ民間人を、ただで帰すわけには行かないだろう。だがあまり過酷な処遇は、シルファも心が痛む。
「アスト・レザはもともとサブジェクター候補生だった」事務的な口調で、ガロアが答えた。「会議ではそう押し通した」
「嘘をついたんですか?」
「あながち嘘とも言えんだろ。彼にサブジェクターの資質があるのは事実だし、我々もサブジェクターの増員を必要としている。候補生になったのが戦闘の前か後かなんてことは、些細な誤差に過ぎない」
「はあ、些細な誤差ですか……」
 確信犯めいたガロアの口調に、シルファは安堵しきれないものを感じる。
 だが、これはアストにとって朗報だ。サブジェクターになることを承諾すれば、装竜機の無断使用は不問になるのだから。問題は、アストに拒否権がないということだが、尋問の様子では、アストは装竜機に乗ることを望んでいた。断りはしないだろう。
「わかりました。アスト・レザの専用装備を準備します」
「ああ。だが、出力レベルの上昇現象は早急に確認しておきたい。それが、アスト・レザに起因することなのか」
「ですが、現状では検査方法もなく……」
「実戦が影響を及ぼした可能性があるなら、それに近い環境においてみるか」
 一瞬シルファは絶句した。ガロアの意図を推測し、血の気のひく思いを味わったのだ。
 だめだ。そんなことをさせるわけにはいかない。気付くとシルファは両手でテーブルを叩いて叫んでいた。
「やめてください、少佐。訓練もつんでいない子供を戦場に放り出すつもりですか!」
 シルファの剣幕に、むしろガロアのほうが面食らったようだった。何度か目をしばたかせる。が、徐々に眉間に皺を寄せ、不機嫌そうに応えた。
「おれを何だと思ってる? いくらなんでもそんな無茶をするはずがなかろう」
「だが、お前ならやりかねん」
 ザナドリーが真顔で言った。シルファもその通りだと思ったので、力一杯うなずいた。
 ガロアは少し傷ついたようだった。口をへの字に曲げる。
「実験室とは違う環境を準備しようと言っているだけですよ」
「と言うと?」
 ザナドリーにうながされ、ガロアは携帯端末を取り出した。スケジュールを確認する。
「遺跡調査の護衛依頼が来ていましたね」
 ガロアの口調は、いたずらを思いついた子供のようだった。

          *

 掌にまだ、レバーの感触が残っているような気がした。
 アストは自分の手を見つめ、昨日の感触を思い起こしていた。装竜機のコックピットで感じた、あの、奪われた力を取り戻したかのような、満たされた感覚を。
「聞いてるのかよ、アスト。アストってば」
 ガクンガクンと肩を揺さぶられた。それで正気に返ったアストは、さっきから隣でわめいている少年の存在を思い出した。そばかす顔の少年、悪友デュラン・タラスである。
「……悪い。何の話だったっけ?」
「しっかりしてくれよ。おれが何を求めているかくらい、わかるだろう?」
「ああ、そうか。そうだな。聞くまでもないや……」
 妙に納得してしまい、アストはデュランから視線をそらした。
 ここはメディカルセンター内、食堂兼休憩所である。時間が食事時からずれているためか、彼ら以外に人の姿はない。無人のカウンター席に、並んで腰掛けている。
 昨日の戦闘の後、アストは軍施設内設備で検査や実験にさんざんつきあわされた。さらにレイヤ3のメディカルセンターに搬送され、検査入院のため一晩泊められたのだ。健康体のアストにしてみれば、まるで留置所に拘留されたような思いだった。
 そして今、やっと解放されたところだ。自動販売機で買った遅めの昼食を取りながら、退院の手続きにいっている母を待つ。
「それでだな。何でもいいから教えてくれ。ヴァイアトラスの武装とか、陸戦機とのパワー比とか、新素材の秘密とか、操縦システムの概要とか」
 何でもいいと言いながら、デュランの質問はずいぶん偏っている。
 アストが退院すると聞き、デュランはすぐに駆けつけてくれた。一瞬ありがたいと思ったアストだが、よく考えればその魂胆は見え透いていた。軍事マニアのデュランは、アストが乗った装竜機ヴァイアトラスのことを、その後連れ込まれた実験施設のことを、一切合財聞き出そうと待ち構えていたのだ。
「話せって言われてもなあ……」言葉を濁し、アストはハンバーガーを手に取った。「いや、やっぱりダメだ。軍事機密だって口止めされてるから話せない」
「そこをこっそり教えてくれるのが友達だろう?」
「勘弁してくれよ。勝手に装竜機に乗っちゃったことで、かなりしぼられたんだ。この上機密漏洩なんかしたら、マギャリーにどんなペナルティを課せられるか」
「お前なあ。そんな幸せそうな顔して、何がしぼられた、だ。説得力なし!」
「え?」
 デュランに指摘され、アストは初めて自分がにやついていたことに気付いた。
 装竜機に乗った、あの満ち足りた状態を思い返して、自然に顔がほころんでいたのだ。
「その幸せを少しわけてくれてもいいだろ」
「か、関係ないだろ。ダメなものはダメだ」
 照れくさくなって、アストは必要以上に強い口調で拒絶する。
「……なあ、アスト。おれは何も、興味本位だけで言ってるんじゃないんだ」デュランの顔が、急に真剣なものに変わった。「ブリトランというシティの敵が存在する。それは、昨日の件ではっきりした。これに対抗するには、陸戦機だけではこころもとない。ヴァイアトラスの力が必要だ。つまりヴァイアトラスの性能が、おれたち市民の生命を左右する。そんな大事なこと、知らないままでいられるか? いや、知っていなくちゃいけない」
 ──う……一理ある。
 そう思ってしまう。アストはデュランの口車に丸め込まれそうになっていた。
「軍人ではなくても、生き残るために知るべきだ。知りうる限りを知り、考えうる限りを考えて、次の戦いにそなえなくちゃいけない。わかるだろ? けっしてキュア姉さんとの取引材料が欲しいわけじゃないんだ」
「……本音はそこか」
 最後の一言で、脱力した。
 デュランのイトコ、キュア・ミカヅチはジャーナリストである。イトコ同士でよく情報のやり取りをしているらしい。デュランが妙なことにくわしいのも、彼女がニュースソースになっているためだ。逆に、デュランが別ルートで仕入れてきた情報が、キュアのスクープになることもある。
 今回も装竜機の情報と引き換えに、キュアから軍の動きやブリトランの情報を聞き出すつもりに違いない。
「結局興味本位じゃないか」
「あ、今のなし。忘れて、アストちゃん」
「甘えるな、気色悪い」
 にじり寄ってくるデュランを、アストは肘で押し返した。
 食堂の入り口に黒髪の少女が姿を現したのは、その時である。
「アスト、デュラン」
 少女の声が、二人を呼んだ。
 彼女は長い髪を一本おさげに編んで、看護助手の白衣に身を包んでいた。アスト達の幼馴染み、ここメディカルセンターで看護婦の手伝いをしている、ライナ・フォーリーだ。
 ライナは、アスト達のいるカウンター席に歩み寄ってきた。
 仕事が忙しいのか、ひどく疲れた表情をしている。
「ドネリーおばさんから伝言よ。手続きにまだ時間がかかりそうだって」
「わかった。待ってるよ」
「聞いてくれ、ライナ。アストは昨日……」
 デュランが口走るより早く、アストはカウンター下の足を蹴っ飛ばして黙らせた。
 ──それは秘密にしておけって。おまえだってマギャリーに口止めされてただろ。
 ライナに聞こえないように囁く。だが。
「昨日、アストが装竜機に乗ったって話?」
 隠したはずの秘密を、ライナが口にした。
「どうしてそれを?」
「ドネリーおばさんが、話してくれたから」
 アストは口の中でうめいて、天を仰いだ。
 ──何考えてるんだ、母さん。
「アストはずるいんだぜ。自分だけ楽しい思いしやがって」
「まだ言うか!」
「……楽しい?」
 デュランの言葉に、ライナの顔が曇った。不安そうな視線を、アストに向ける。
 その急激な表情の変化と、まとった空気の重さに、アストは息をのんだ。デュランさえ、言葉を飲み込んで黙り込む。
「装竜機に乗って、戦って、楽しかった?」
 何か辛いことを耐えるような表情で、ライナが問う。アストはそんなライナをいぶかしく思いながらも、うなずいた。
「うん。それまでの自分に欠けていたもの手に入れたって言うか、装竜機と一体になったような気がして、気分が良かった」
「そう……」
 ライナは視線をそらした。カウンターの上に置かれたコップを見るともなしに眺める。
 その表情は怒っているようにも、泣き出しそうなのを堪えているようにも見えた。
「ライナ?」
「……水」
 心配して問いかけるアストには答えず、ライナはカウンターの上のコップを手に取った。中の水は飲み干されて空になっている。
 すぐそばに給水口があり、自由に飲み水が汲めるようになっていた。ライナはそこにコップを置く。だが水はチョロチョロとしか流れず、半分くらい溜まったところで、止まってしまった。給水口の横に、「節水にご協力を」と書かれたステッカーが張ってあった。
「浄水システム……この前せっかく完全復旧したのに、昨日の戦闘でまた調子が悪くなってるの」
 半分だけ水の入ったコップをアストに差し出しながら、ライナは語り始めた。
「他にも、生産プラントの一部が破壊されたし、住む家を失った人もたくさんいる。ここにも負傷者がたくさん運ばれてきたわ」
 ──あ。
 そこまで言われてやっと、アストはライナの気持ちを理解した。
 ライナは目の当たりにしたのだろう。戦闘の巻き添えで負傷した人々を。疲れた表情をしているのも、その手当てに追われたせい。
「手当てのかいなく、亡くなった人もいる」
 アストはライナの差し出すコップを受け取った。水が半分しか入っていないはずのコップは、ずしりと手に重かった。
 悲しげなライナの目が、アストを、デュランを見つめる。
「なぜ、それを楽しいなんて思えるのか、わからないよ」
 返す言葉に詰まった。今度はアストが視線をそらす番だった。
「戦闘があったのを喜んでるわけじゃない」
 とっさに言い訳したが、自分でも声に力がないのがわかった。
 浮かれていたのは事実だ。アストは渇望していた力を手に入れたような気がしたために。デュランは軍事機密の新型機動兵器を目にしたために。
 興奮していて、戦闘で被害を受けた人のことを、苦しんでいる人がいることを、忘れていた。
「仕事があるから、もう行くね」
 ライナは踵を返した。アストは視線を伏せたまま、顔を上げることができなかった。
 去りぎわに、ライナが言葉を残していく。
「何のための力なのか。どうして力が欲しかったのか。今のアストは忘れているような気がする」
 閑散とした食堂の中、遠ざかるライナの足音がやけに大きく聞こえた。

          *

 レイヤ3の居住区には、戦闘の傷痕が生々しく残っていた。
 すでに黒煙が昇っているところはなかったものの、様々なものが焦げついた臭いが鼻を突く。
 緩やかにカーブを描く道路を、アストは歩いていた。
 傍らを、ローラースケートを履いたデュランが追い越していく。少し先に行ってはターンを決め、また戻ってくる。それを繰り返し、アストの周りをぐるぐる回る。うっとうしい奴だが、今は怒る気にもならない
「アストは悪かぁない」前方で止まり、デュランは見かねたように言った。「逆にみんなを護ったんだ。気にするなよ」
 元気付けてくれてるらしい。だが。
 アストは足を止め、街灯が破壊された結果生じた、闇だまりに目を向けた。それもまた、戦闘の傷痕だ。
 デュランも、それ以上の慰めの言葉は言わなかた。器用にローラースケートを操ってアストの横に並ぶと、軽く肩を叩く。
「じゃ、おれ、行くわ。ばあさんが心配してるからさ」
 デュランは祖母と二人暮らしだ。幼いときに両親と死別していた。なのにあのバイタリティーを持ったデュランを見て、アストは羨ましいと思えることもあった。
「ドネリーおばさんにもよろしくな」
「あぁ」
 デュランは、加速しながら手を振り、自宅のあるエリアへと走り出していった。
 母親のドネリーには、メディカルセンターで別れて先に帰ってもらった。自分は、遠回りして街を歩く。見ておきたかったのだ、レイヤ3の様子を。
「何のための力、か」
 歩きながら自問する。
 忘れたわけではない。半年前の、あの惨状を。助けを求める人が溢れていて、助けたいと思うのに、何もできなかった悔しさを、無力感を。
 胸元で父の形見のペンダントが揺れる。右手でそれを握り締めた。
 父の葬儀のことが思い出された。
 葬儀に参列した人達は、みな父を立派な人だと褒め称えた。そんな父に近づきたくて、父のような英雄になりたくて、力を求めた。
 ──忘れたわけじゃない。決して。
 そう心の中で叫んでも、後ろめたい思いは消えなかった。
 肩を落としてしばらく進むと、道が閉鎖されていた。
 戦闘で崩れた瓦礫の撤去作業と、生き埋めになったと思われる行方不明者の捜索が行われているのだ。ADが動き回り、天井から伸びたクレーンが、瓦礫を吊り上げる。
 転移の後、よく見られた光景だ。だがこれは、転移によって起こされた惨劇ではない。人為的な戦闘の痕。
 昨日、アストは装竜機に乗って戦った。あれはレイヤ1でのことで、ここの被害はアストがもたらしたものではない。ではあるが、アストは自分の行った戦闘という行為、その代償を見せ付けられたような気がした。
 戦うべきではなかったのかもしれない。力を求めたこと自体、野蛮な闘争本能の発露だったのだろうか?
 ──いや、あの場合仕方なかったじゃないか。敵が攻めてきたから、守るために戦ったんだ。悪いのは、ブリトランとか言うシロアリみたいな機動兵器で、おれは悪くない。
 そう、自分に言い聞かせた。
 戦場跡に背を向けて、再び歩き出す。
 アストの前を、スクーターが横切った。少し行き過ぎて、スクーターはブレーキの音を響かせて止まる。
 アストが横目で見ると、スクーターに乗っていた男がこちらに手を振っていた。
「おおい、アスト」
 親しげに名前を呼ばれて、アストも立ち止まる。男はスクーターから降り、大またで歩み寄ってきた。
 背も高く、肩幅も広い大柄な男だった。骨董品のようなヘルメットとゴーグルをつけているため、顔はわからない。黒い革のジャンパーには所々こすれた痕があり、分厚い筋肉によって内側から破られそうに見えた。
「ちょうど良かった。今、お前んちに行こうとしてたんだ」
 ──誰、だっけ?
 親しげに話し掛けてくる男を前に、アストは内心首を傾げた。記憶の中の友人リストを検索するが、合致する人物が見つからない。
「何だ、おれがわからないのか?」
 アストの困惑に気付いたらしく、男はヘルメットとゴーグルをはずす。野性的な風貌に、人のよさそうな笑みを浮かべた目があらわになった。
 それでやっと思い出した。昨日紹介された、装竜機一番機オースンのパイロットだ。
「ロック・タイガさん?」
「ロックでいい。みんなそう呼ぶ」
 ロックは親しげにアストの肩を叩いた。かなり痛かった。
「どうしたんです? なにか、用事でも?」
「おう。ちょっとしたイベントがあってな。誘いに来たんだ」
 そう言ってロックはニヤリと笑う。ライオンが笑うとこんな感じかもしれない。
「明日、遺跡調査にいかねえか?」
「……はい?」
 ますますわけがわからなくて、アストはロックの笑顔を見上げた。

          *

 藍色の翼が、シティを飛び立った。
 後部と地面方向に噴射口を備えたガルウイング。装竜機、あるいは陸戦機一機を懸架して空輸する無人VTOL(垂直離着陸機)、エスパーダである。
 輸送機を護衛して次々と飛び立つ機影。アストはオースンのガンナー席から、モニターに映るその姿を見つめた。
「こっちも行くぞ」
 アストの背後、一段高くなったパイロット席からロックの声が忠告した。アストが了解の返事を返すと、正規サブジェクター、ロック・タイガ中尉は、オースンを飛翔させた。
 装竜機一番機オースンは、他の装竜機と異なり複座式である。試作第一号として作られたため、母体である陸戦機の面影を色濃く残してもいた。五番機などのスレンダーな装竜機と比べると、前後左右に太い、鈍重なイメージを与えるフォルムをしているのだ。
 肌色の装甲で全身を覆い、関節部分は赤い物質で束ねられている人型機動兵器だ。胸部と両足に、オプションパーツであるオレンジ色の追加装甲を装着し、右手に機動兵器用のアサルトライフルを持っている。
 先発した五機と同様、藍色のエスパーダが、オースンの頭部と肩までをくわえ込むようにジョイントしていた。オースンはエスパーダの推進力を得て離陸、編隊に合流する。
「……すごいや」
 アストは思わずそうつぶやいた。
 モニターには、輸送機を中心にした編隊が映っている。先頭を飛ぶのは、装竜機三番機アーリアン。四機の陸戦機が輸送機の周囲を固め、オースンは最後尾につけている。
 左右を岩壁に挟まれ、メタルストームに蓋をされて高くは飛べないとはいえ、整然と飛行する勇壮な姿を目の前にすると、単純に高揚するものがある。ライナに言われて感じた後ろめたさも、とりあえずは棚上げだ。
『…通信…レーザーサイト…変更。…リンク開始。これ以降、通信は有視界領域のみ有効となる。各機留意せよ』
 とぎれとぎれの通信が、突然クリアな音声に変わる。通信媒体を電波から、緩衝に強いレーザーに切り替えたのだ。
 この惑星で常時吹き荒れている強風・メタルストームは、金属イオンを多く含んでいる。電波通信は撹乱されて役に立たない。そのため赤外線レーザーを媒体に使うのだが、レーザー光が届く範囲にしか使えないという欠点もあった。
「装竜機一番機オースン、了解」
 後席から、ロックが返信する。アストが首をひねって後席を視線を送ると、ヘルメットのバイザー越しに笑いかけてきた。
「めずらしいか、アスト?」
 今、ロックが身につけているのは、昨日の骨董品のようなヘルメットとゴーグルではない。パイロットスーツの襟と密着し、バイザーを降ろせば真空中でも短時間活動可能な、密封式ヘルメットだ。スーツとこのヘルメットが、サブジェクター専用の装備品らしい。
 ちなみに、アストが着ているのは陸戦機のパイロットスーツで、借り物だ。両者とも体にピッタリするウエットスーツのようだが、首周りに据えられたプロテクターの形状がずいぶん異なる。
「そりゃあもう。転移以来、ドームの外に出るのは初めてですから」
 はずんだ声で応え、アストはモニターに視線を戻した。
 編隊は、緩やかにカーブする岩壁にそって旋回する。
 シティのドームは壁に隠れて見えなくなった。見えるのは、灰色の岸壁と、谷底に積もる砂、頭上で太陽光を減衰する粉塵の乱舞。
 きわめて色彩の乏しい景色の中を、七機の機影が飛ぶ。
 渓谷はうねりながら、時に狭まり、時に広がって、枝分かれしつつ続いている。ナビゲーションシステムがなければ、自分がどこにいるかも分からなくなりそうだ。いや、ナビゲーションシステムさえ、マップが完璧ではないし、加速度計測方式なので誤差が積み重なれば現在位置を見失ってしまうだろう。
「まるで迷路のようだろう?」ロックが言う。「こんな渓谷が、調査隊が調べた限り、延々と続いているそうだ。この惑星の全地域がこうなのか、もう少し調査範囲を広げれば海や平原がみつかるのか、正直わからん。わからんが、学者連中がこの惑星をラビリントゥスと名付けたのも納得できる」
「ラビリントゥス……」
 アストはその名をつぶやいてみた。ニュースで、ラビリントゥスという名を聞いたことはあったが、あまりそれを使うことはなかった。普段の会話では「ここ」とか「この惑星」で済んでしまったから。
 だが、この景色を見、あらためてその名の由来を知ると、ピッタリの名前だと感じた。
 迷宮の惑星ラビリントゥス。
「その迷宮に迷い込んだおれ達は、出口を探して今日も遺跡調査だ」
「そこがよくわからないんですが……」
 軽口めいたロックの言葉に、アストは首をかしげた。
「どうして遺跡調査が迷宮の出口を探すことになるんです? いつまたブリトランの襲撃があるかわからない今、危険をおかして遺跡調査を行う理由もわからない」
「へえ〜。案外かしこいじゃないか」
「からかわないでください」
「へいへい。ま、たしかにこれだけ護衛をつけても、出先でブリトランに襲われる危険性はあるな。シティの方でも、陸戦機の保有数は豊富だが、装竜機二機が留守にするのは痛い。だが、それだけのリスクをはらっても、遺跡調査をする価値はあるんだ。むしろブリトランが攻めてきたからこそ、調査を急がなければならない」
「というと?」
「それはついてからのお楽しみ。あとでシルファが教えてくれるさ」
 そう言ってロックはモニター内の輸送機を指さした。あの中には、遺跡調査を行う研究員と、調査機器が積まれている。そしてシルファ・サイク技術大尉も同乗しているのだ。
 ──おあずけか。
 軽い失望を感じて、アストはため息をついた。
 昨日、ロックはピクニックにでも誘うような気軽さで、遺跡調査への協力を依頼してきた。さすがにアストも戸惑った。なぜ今、遺跡調査なのかわからなかったし、アストに白羽の矢が立ったのかも不思議だった。
 後者にたいするロックの答えは、こうだ。
『装竜機中隊も人手不足だってことさ。だが護衛任務の手伝いだからな、軍事機密の装竜機に乗せることになる。その点、アストならもう一度乗ってるんだから、今更機密も何もないってことなんだろ』
 笑いながら言ったロックの答えに、アストは少しだけ落胆した。もしかしたら、五番機での戦闘が評価されて、軍がスカウトに来たのかと甘い期待を抱いていたのだ。
 期待はハズレだったが、また装竜機に乗れるという条件に引かれて、遺跡調査への同行を承諾したのだった。
 ガロアの目論見を、アストは知らない。
 ──でも、来て良かった。
 装竜機に乗って間近に機動兵器の編隊を見ると、単純に心がたかぶる。五番機ほどではないにしろ、この一番機オースンとも一体感に似た感覚を感じて心地よかった。
 いや。実際に操縦できれば、もっと強い一体感を感じるのだろうか?
「ロックさん」
 呼びかけて、アストは後席を振り返った。
 アストの体は、緩衝パッドによってシートに押し付けられている。首だけをひねって後を見るのはかなり苦痛なのだが、できるだけ正面から視線を合わせられるように、精一杯首を曲げる。
「ちょっとだけでも、おれに装竜機の操縦をさせてもらえませんか?」
「あん? そいつは……」
『ダメに決まってるでしょ』
 ロックが応えるよりも先に、否定の言葉は通信機から流れてきた。
 聞き覚えのある怒声だ。ブレイバーに乗ったときも、こんなふうに怒鳴られた。サブモニターには、声の主がアップで映っている。きつい印象をあたえる美少女、リシア・フェイエル少尉だ。
「いけね。スイッチ入れっぱなしだったか」
『アスト・レザ。自分が素人だって事、自覚しなさい』
 とぼけたロックの声にかぶせて、リシアの怒声がアストを打つ。
『飛行中は、エスパーダの操縦もサブジェクターや陸戦機パイロットが行うことになってるわ。この風の中、岩壁の間を縫って飛ぶのが危険な事だってことは想像できるでしょ。高度を上げすぎてもいけない。安全高度を越えて上昇すれば、機体はメタルストームにさらわれてしまうわ』
 いかなる航空機も、側壁を越えて飛行することはできない。メタルストームに翻弄されてしまうから。深い渓谷の底だけが、メタルストームの力を弱め、生物の存在を許す。ここを飛行するものは、左右の岩壁と高度を常に意識していなければならないのだ。
『あなたが勝手に事故るぶんにはかまわないけど、一番機を道連れにされては困るわ。装竜機は子供のおもちゃじゃないのよ』
「子供子供って、そっちだってたいして変わらない年齢じゃないか!」
『あたしは5年以上の訓練をつんでるわ』
「え? もしかして見た目よりずっと年とってるの?」
『撃墜するわよ』リシアの目に、本物の殺意がやどる。
「早まるなリシア。おれも乗ってるんだ!」
 ロックが本気で恐怖にかられたようにわめく。リシアならやりかねないということだろうか。
『とにかく、素人が浮ついてるとケガじゃすまないんだからね。覚えときなさい』
 そう怒鳴り声を残して、サブモニターからリシアが消えた。今度こそ、ロックも通信機のスイッチを切る。
「リシアも、性格的にきついところはあるんだが」声に疲れをにじませて、ロックが弁明する。「察してやってくれ。あれでもお前の身を案じてるんだ」
「本当ですか?」
「……たぶん、な」
 そう言いながらロックも、あまり自信はなさそうだった。

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